ところで

久々に、ネットの限界を思い知りました。
最近フス派、なかでも過激派のことを調べてみようと思い、まずはいつものごとくググってみたのですが、チェコのヤン・イスクラという人物の後半生についての検索で、久々に壁にぶち当たりまして。


どうやらイスクラという名前の貿易会社があり、しかも同名の左翼紙まであるらしいのです。後者はどうやら、20世紀初頭にレーニンらが創刊した新聞からいただいたようで。
さて、このヤン・イスクラは最初、フス派の将軍でした。
フス派とは、ウィクリフの教説に賛同したボヘミアヤン・フスを支持するグループです。実質上、プロテスタントの先駆といってもいいでしょう。
彼らは二種聖餐*1チェコ語典礼*2といった、当時のカトリック儀典に反したミサを行い、またローマ教会の腐敗を非難したために支配者層から睨まれ、異端の烙印を押されてしまいました。
彼らは異端撲滅十字軍、今でいう多国籍軍を三度にわたって破り、「万人は等しく兄弟姉妹」と呼号しましたが、最終的に将軍のひとりチャペックの裏切り(リパニの兄弟殺し)によって壊滅、三十年戦争で根切りにされるまで各地に潜伏することになります。
この戦いで、イスクラ将軍は同僚のプロコフ隊を盾にとり、どうにか逃げ延びることができました。
その後、このイスクラ隊は黒衛軍と名を変えて傭兵部隊となります。祈る対象を失った狂信者の軍隊は、時のトランシルヴァニア公フニャディ・ヤーノシュ(英名ジョン・フニャディ)を撃破し、上ハンガリー(現スロヴァキア)を支配下に置くなどしますが、最終的にハンガリー王マーチャーシュ1世(ヤーノシュの次男)に屈し、その配下として名を上げるとか。
で、その黒衛軍が問題なんですよ。
リパニの戦い以後について、ネット上にはほぼ記録がない。出不精の私でも、これでは活字記録に頼らざるを得ません。
いちおうヤン・イスクラで検索をかけた場合、前二者および伝奇ゲームかなにかの二次創作が上位に来ます。それならとハンガリー風にギシュクラ・ヤーノシュと打ち込んでみれば、こんどは2ちゃんねる世界史板に同名のコテハンがいらっしゃるようで挫折。
いくら広大とはいっても、まだそうした部分の奥行きは日本のネットにはないみたいですね。
と、いいつつ寄付した金額分は使わせてもらうぜとWikipedia英語版で検索かけたのですが、Ján JiskraあるいはJohn Giskraという記事はありませんでした。
あきらめきれない私。
追記。
そんなわけで隣町の図書館にでも行ってみるか、ついでに北方三国志借りてこよう、などと思いながらなおも検索をかけると、Wikipediaのドイツ語版、ハンガリー語版、フランス語版、スロヴァキア語版に記事を発見。
でもどの言葉も分からない私。ドイツ語版記事を翻訳ソフトで英語に直せってか。

*1:ミサでいう「交わりの儀」のとき、民衆や信者がパンとぶどう酒を司祭・神からいただく形式。カトリックでは司祭がパンとぶどう酒をいただき、信者はパンだけいただく一種聖餐が普通で、私や知り合いが体験したミサは全てこの形でした

*2:当時、カトリックのミサはすべてラテン語で行われていました。ローマ教会が土地や信者にあった言語での典礼を正式に許可するのは、1963年になってからのことです