私も大学生ですので

時にはレポートなど提出せねばなりません。
んで、その際に某研究会のHPをのぞいたんですが。

紹介ページにはそれらしいことが書いてあるんですよ。史料と真摯に向きあっていくとか、偽書との弛みなき闘いとかなんとか。
ですが、読み進めてみると。
「時として先達の方々に厳しい批判をくわえることになる」
 まあこれは当然ですね。
「ゆえに、我々の試論に反発する向きもあるかもしれないし、事実そのようだ」
 ちょっとカチンと来ますが、当たり前のことを言ってます。
「しかしその場合は。きちんと関係諸書を読み、正確な知識を養ってからにしろ」
 言い方さえどうにかすれば、まったくその通り。


ですがね。


そのあとに括弧書きで「学究の書かれる論考などにあっても(中略)疑問な記事・見解が結構多い」とか書かれると、ちょっと待てとも言いたくなるもんで。つまるところ、彼らに意見したければ専門家以上の知識を積むしかないわけですから。
しかもHPの内容、つまりウェブ上に発表された論文でも、この調子でご高説ぶってるんですわ。
例を挙げれば、以下の如し。
国宝指定された某史料の信頼性に、疑義を示されているわけですが。

偽撰』、ましてその注釈書の信憑性は『況や、をや』であり、『これを国宝指定した公的機関や学究における(中略)底の浅さが強く感じられる』。
このような『疑惑十分』の史料にもとづく『妄論』には『絶句』する。
言いたいことが分からなければ、まず独自に知識を養って出直してこい(要約)』。『まじめに議論をしたいのなら、少しは勉強するべき(要約)』だ。
ことは『理解力・判断力の問題』であって、『論理的な議論・検討が望まれる』。『感情論と信念論はもっとも避けねばならない』ため、『砂上の楼閣か蜃気楼』に『関わるのはこれくらいにしたい』。


宝賀寿男「国宝『海部氏系図』への疑問」(2006年)
および「『海部氏系図』及び『勘注系図』についての応答など」(2007年)


まずその論文だか丁寧な悪罵だか分からない語り口をどうにかしていただけませんか。
感情論を避けて論理的な検証を求めるのであれば、まずご自分から、他人の感情を逆なでして喜んでいるかのごとき論調を改めてもよろしいかと。
冷静に合理的に読んで批判していただいたら幸いです」などとのたまわれても、こちらとしては笑うしかない。他人の過誤をこれだけあげつらっておいて、自分に文句を言える人間はそうそういないのだ、とふんぞり返られた後ではね。
こんな雑文ならいざしらず、論文ですぜ。
確かに、論文中で誰かへ「厳しい批判」がなされるのは予想してましたが、まさかこんな解読すれば小学生レベルのそれとは思いませんでしたよ。
まあ、論文で言及された内容については、たぶん反論の余地なしですが。


そんなわけで、論文のフリーダムさに感嘆した、レポート提出日二日前の私でした。