さて

その典型のような話題のひとつが、これだと思うのです。

創氏改名

創氏改名

創氏改名」宮田節子ほか二名著。
朝鮮総督府が行った、あるいは行ったとされる数々の悪行の中で、おそらくもっとも有名なのではないでしょうか。
最近、おなじ題材の本を岩波新書から水野直樹なる方が出していますが、誰にとっても上っ面だけ知っている割に、何がいけないのか(そしてなぜ罪悪感を持たないのか)分かっていない人が多い、と両書は指摘しています。
実際、私も分かっていませんでした。
基本的なことを(主に自分のために)確認しますと、「創氏改名」は文字通り、氏を創り名を改めるわけですが、これを日本人が違和感なく受け止めるのは、「氏」を変えるのが珍しくないからです。
結婚で変わり、伝統芸能の道に入って変わり、伝統ではない芸能の道に入っても変わる。そして「姓」と「氏」とは同一視されています。
ところが当時の朝鮮(今もか)では事情が違う。
いつまでたっても姓は変わらず、また父系血族の証として「本」すなわち先祖の出身地をあらわす本貫とともに、名前の重要な構成部分なわけです。さらに、あちらには「家名」がない。
本来この「一家の名前」をつくるのが「創氏」だったわけですが、どちらも覚えていない、と。
それで、日本人は「氏を創る」を「苗字を改める」と勘違いしていくらなんでも怒りすぎだとむくれ、朝鮮人(当時)も改姓(つまり一族のものを受け継いだ姓を変える)と勘違いして一族の名折れになるようなことができるかと怒るわけですね。
そんなあれこれと、なぜ総督府朝鮮軍(日本軍の区分)が創氏改名を強硬に推進したのか、そして反応はどうだったのかなどが、この本で描かれています。
宮田節子“ほか”の二名は韓国人で(推測。金英達氏と梁泰旲氏)、やはり反感が先にたつのでしょう、台湾や南樺太はまだ分かるとして南洋諸島までも「侵略によって支配した海外領土」と表現するなど、いささか専門外の分野に関する勘違いがあるようなないような状態ですが、ともかくあやふやな状態で歴史を語るとしっぺ返しがくる、という真理をあらためて実感しました。
一度、内容を掘り下げて名づけ方第三弾をやりたいものです。
さて、次はインドネシア現代政治史に挑戦だ。