止揚

ドイツ語ではAufheben。哲学用語。
高校の倫理で学んだところによると、ふたつの相反する要素がより高次の事象において保存されることだとか。広辞苑的に言えば、

ヘーゲルの語。弁証法的発展では、事象は低い段階の否定を通じて高い段階へ進むが、高い段階のうちに低い段階の実質が保存されること。矛盾する諸契機の統合的発展。揚棄(ようき)。

だそうです。
で。
本日ご紹介するのはこちら。

[テメレア戦記] I 気高き王家の翼

[テメレア戦記] I 気高き王家の翼

まさに止揚と言わざるをえない。海洋冒険小説とファンタジーの。


原題は「His Majesty's Dragon」。直訳すると「陛下の竜」でしょうか。
陛下だけで済ませた理由については後でぐだぐだ語るとして、あらすじを訳者あとがきから引用します。

舞台は、一八〇五年のヨーロッパの陸と海と空。
フランス革命後、強大な権力と軍事力を握ったナポレオンが大陸全土の覇権を狙いつつ、最大の敵国である英国に侵攻する機会をうかがっている。フランスのトゥーロン港にはヴィルヌーヴ提督の艦隊が控え、これをネルソン提督率いる英国艦隊が海上封鎖でかろうじて押さえこんでいる。


さて、こんな史実どおりの状況に、本書ならではの“ドラゴン事情”が絡む。


ドラゴンの飛行戦術に長け、品種改良の技術に精通するも、数が不足している英国。大して、繁殖技術にすぐれ、重戦闘竜の数で圧倒するフランス。英国は、もし地中海方面にドラゴン戦隊を差し向ければ、ネルソンを援護してフランス艦隊を叩きつぶせるかもしれない。が、それではイギリス海峡の守りが手薄になる。
英国艦リアイアント号が一隻のフランス艦を拿捕し、孵化が迫ったドラゴンの卵を奪い取ったのは、そんな逼迫した戦況の折りだった。
海の上で卵から帰った竜の子は、艦長のウィル・ローレンスを自らの“担い手”として選びとる。


こうして否も応もなく海軍から空軍へと移ることになったローレンスは、その竜の子テメレアとともにスコットランドの空軍基地へと赴き、イギリス海峡の守りを固めるドラゴン戦隊に加わるべく厳しい訓練をはじめるのだが……。

もちろん、ドラゴンが実在する世界があったとして、それを戦争に使おうという発想は、なにもこの人の独創ではありません。
最近のファンタジーには多かれ少なかれドラゴンブリーダー、あるいはドラゴンライダーが存在するようですし(個人的にはドラグーンという呼び名は乗馬歩兵のものと決めてかかっているのですが)、さらにいくぶん現代風の世界にファンタジー要素を取り入れた作品も、私は知っています(佐藤大輔著「皇国の守護者」シリーズほか。むろん西洋ファンタジーの本場である欧米には、そうした系列の小説やゲームが他にもごまんとあるのでしょう)。
私が取り立ててこの小説をべた褒めしているのは、(自分でもいまだはっきりと分かっていないのですが)たぶんファンタジーかつ架空戦記だからでしょう。
権勢を振るうナポレオン軍の強さの秘訣が竜海戦術で、技術にすぐれるが竜の数がないイギリスという構図は、英仏海峡を戦火が襲う場合そのままなんじゃないでしょうか。他にも、欧州近代史に暗い私には分からない、大量の史実ネタが紛れ込ませてあるのでしょう。
(以下ネタバレがあります)