考えることは同じ

これはまだ、捕鯨反対の急先鋒がアメリカ合衆国だったころのお話。

物語の舞台は近未来の大阪
そこで、ひとり、またひとりと、アメリカ人が行方不明になるところから、この物語ははじまる。
やがて事態を重く見たアメリカ大使館にせっつかれ、警察もやっと重い腰を上げる。
捜査ははかどらない。行方不明者は千差万別、銀行員もいれば浮浪者もいる。男も女もゲイもいる。共通点は、白人のアメリカ市民というだけ。
そうこうするうち、駐日アメリカ大使が消えてなくなる。
そして、数日後、ひとつの大きな紙カップが大使館に送られてくる。中には揚げたてのチキンナゲットが湯気をたてている。
添えられた手紙には、こうある。


「我々は、“国際社会”と称するアメリカ政府主導の抑圧システムによって、鯨が食べられなくなった現況に鑑み、その代用に、鯨程度に頭のいいアメリカ人を食べることにした」


発信人の名は、《ケンタッキー・フライド・ヤンキー》。

嘘ですからね。某小説内のネタですからね。
こんな小説あるわけないじゃないですか。色々な意味で問題になるだろうし。
我々はあちらさんとは違うと思いたいわけでごわります。こういう場合は特に。
あと上の「大阪」の二文字を読んで笑いが止まらなくなった人、いらっしゃいましたら精神科の方へどうぞ。


上のあらすじは矢作俊彦著「あ・じゃ・ぱ!ん」、「あちらさん」に関する記事は「痛いニュース」から引用しました。前者は以前にハードカバーを紹介したので、今回は新装版を。

あ・じゃ・ぱん

あ・じゃ・ぱん