帰れ、マドンナ

これは、1996年に製作された映画「エビータ」に対するアルゼンチンでの反応です。主題歌と共に、欧米では高い評価を得ました。
上の台詞は、主演がマドンナ、アントニオ・バンデラスであったことによると思われます。
要するに、( ゚д゚)、ペッ て事ですね。


エビータことエヴァ・ペロンは、こんな人。

マリア・エヴァ・ドゥアルテ・デ・ペロン(1919-1952)は、アルゼンチンの声優、映画俳優、軍人にして政治家フアン・ペロンの第二の妻でありアルゼンチン大統領夫人。通称エビータ、敬称サンタ・エビータ(聖エビータ)。
アルゼンチンの田舎町フニンで生まれ、十五歳で上京。ブエノスアイレスではさまざまな職業と男性を踏み台にして出世し、次第に声優や女優として名を上げてゆく。当時の軍事政権で副大統領(兼職多数)のフアン・ドミンゴ・ペロン大佐と出会い、彼の愛人となる。彼女はその後、この頃から広まった愛称「エビータ」で人々に知られるようになり、自身のラジオ番組で大衆向けの政治宣伝を手がけ、貧しく識字率が低いためラジオが数少ない娯楽だった労働者階級から大きな支持を得るようになる。
1945年10月、アメリカの支援を受けたクーデターが起き、ペロンは投獄される。このときエヴァは国民に彼の釈放を訴えた。直後にクーデターは失敗し、彼は釈放。エヴァとペロンは結婚した。翌年、アルゼンチン労働党の支援を受けてペロンは選挙に勝利し、大統領となる。
夫が政権に就いた後、エヴァは慈善団体「エヴァ・ペロン財団」を設立、国民福祉施設等の建設や労働者の募金による日用品の配布などを行った。この時の品々の一部は、敗戦間もない日本にも送られている。またペロン主義の正義党に婦人部を創設し、アルゼンチンでの婦人参政権実現にも一役買った。
しかし、彼女の無軌道なばら撒き政策とも呼べるこれらの行動は、汚職や腐敗などの疑惑も加え、疑問に思われてもいる。また経歴から「成り上がり」「淫売」と非難される事も多く、特に白人富裕層への受けは最悪で、そもそもカトリックが多く宗教的に保守派が多数のラテンアメリカにおいて、彼女は活動的過ぎるとの批判もあった。
1947年から彼女はファーストレディとして欧州を外遊、資本主義諸国に対する広報活動を行った。その後彼女を副大統領に就ける動きもあったが、上述のような反発もあり、また彼女自身が子宮ガンの宣告を受け、この構想は頓挫する。
1952年に子宮ガンで死去。遺体は二度の展示と一度の埋葬を経て、ドゥアルテ家の墓に改葬された。


で、彼女の一生を映画化したのが「エビータ」。
今日、光通信のサービスを使ってテレビでこいつを鑑賞しました。もう最初の時点で爆笑。理由は後で述べるとして、総合的な評価を先に。


私は、先の見解に全面的に賛同するものでありました。


いやだってね、アメリカ映画だからかも知れませんけど、もう笑えるのなんのって。最初に言いたいのが、舞台がアルゼンチンなのに全編英語という点。しかもラテン訛りを気取ったアメリカ英語だから、慣れてない日本人なんかは英語が分かっても聞き取りにくいんです。別に全編スペイン語でやれとは言わないけど、英語で統一する事だってないでしょうに。サウンドオブミュージックやクレオパトラ、有名どころでは戦争と平和アメリカ版なんかがありますが、はっきり言って見てられません。
次に演出。そもそも第二次大戦中にアルゼンチンが枢軸寄りだったからか知りませんが、毀誉褒貶の多い主人公エビータのの部分だけピックアップしているようでなりません。シナリオ的にも、マドンナ演じるエビータが周囲に笑顔とか魅力とかを振りまきつつ成長して善行を行い、それを周囲の人が好意的に受け止めたりしている平和的な情景と、アントニオ・バンデラス演じる進行役の革命家チェ(ゲバラが由来か)が彼女に嫌味や罵詈雑言をぶつけてニヤニヤ笑っているシークエンスが交互に出てくる構成になっていて、その印象が更に強くなったり。
もうなんと言うか、いかに愚かなるラテンアメリカ男どもが大淫婦エビータの手玉に乗り踊らされていたかを描いてやるのだ、的なものを受けまくってしまいます。まあ確かにエビータは実質的に淫売だった時期もあったようですし、色々と破天荒だったそうです(ええそりゃもう破天荒だったそうです。それこそ映画にもありますが、列車から札束撒くぐらい)が、チェはもしかするとボイス・オブ・アメリカだったんだろうかと勘繰りたくなりました。


唯一評価できたのが衣装。マドンナならではかもしれませんが、権力を握ってからの描写では相当華美ないでたちでした。本物のエヴァ・ペロンもあそこまで豪勢な生活だったとすれば、ブログでアグネス・チャンと食事したとか書いてブースカ文句言われてる安倍昭恵さんとか立場ないんじゃないでしょうか。
ともかく、本家エビータもあんな堂々と、というか多少傲慢なまでに振舞っていたのだとしたら、彼女に自分を重ねたと言うマドンナはきっちり成功していたのでしょう。でも享年三十三歳、十五の歳から描写が始まる女性の役を、いくら美女とは言え当時三十八歳の人がやるのはどうだろうと思う。


冒頭の映画に対するアルゼンチンでの反応ですが、反米感情を差っぴいたとしても、賛否あるにせよアルゼンチンに多大な功績をなした彼女の人生を描いた映画が上に書いた演出では、アルゼンチンの人たちも納得しないでしょう。彼女を神聖にして冒すべからざる聖母のように崇拝している人がいるなら尚更。
監督がエビータを美化する積もりはないといったそうですが、それにしてもこの映画の中の彼女は随分と悪女フリートな方向に偏っているように思えます。少なくとも感情移入の対象としての主人公やヒロインはこの映画にはいないんじゃないでしょうか。
私が見ても、ちょいと非難し過ぎだと思いましたし。

確かに彼女のやり方は単純だったかも知れません。「健全」という点で見れば、チェの方が圧倒的に正しいかも知れない。
しかしともかく、場当たり的な格差是正であれ、三年で国家経済を破綻に追い込んだ愚策であれ、それまでのアルゼンチン政府であれば絶対に越えられなかった壁を、公務員でもない彼女が越えるのではなくぶち破ってしまった事、彼女が善悪云々よりもっと原始的なレベルで純粋に生き、良くも悪くもアルゼンチンを引っ掻き回して去っていった事は確かなのですから。


うん。小難しい文章を書くもんじゃないな。訳分からん。