里帰り直前に

ここのブックオフとも三週間の別れかなどとつぶやきつつ、毎週のセールでゴキブリ対策ツールを買い込んだ帰りにまた立ち読みしてきたのですが、そこで興味深い本を発見しました。

新しい神の国 (ちくま新書)

新しい神の国 (ちくま新書)

古田博司「新しい神の国」。
私の理解でかみくだいて言えば「アジア主義? 何それおいしいの? 日本がアジアなわけねーじゃねーか」と、いうことになりましょうか。
そもそも日本は中華文明を咀嚼して独自の文化を築いたわけでもなんでもなく、日本文化に外から来たものをつけたしていたに過ぎない、というようなお話でした。だから北東アジアの皆さんとは思考回路の根本が違うのだそうで、このあたりはごもっとも。
しかし個人的には、別の箇所がひっかかりました。
どうでもいいようですが、引用。

(今やマルクス主義が“粉砕”されたのだが)最近では嘆息する間もなく、カルチュラル・スタディーズ、ポスト・コロニアリズムなどというマルクスの残留思念が日本に入りこみ、左翼インテリの第三・第四世代を中心に大学にはびこってしまった。それによれば世の中は、権力が国家を想像させ、伝統を捏造し、身体を弄び、階級的暴力装置の本性を幻想が覆っているだけだというのである。

地域文化研究の道を目指すとはいえ大学学部生、それも一回前期を終えたばかりの私が言うのもなんですが、こんなのは初耳、どころか青天の霹靂もいいところです。
もちろん難関国公立にいるわけでなし、「オリエンタリズム」も「想像の共同体」もざっと読んだだけですけど(こういう「下からの茶化し」は、日本の伝統文化とみなせるとか)、こういったことを学ぶために入った同期も思いつきません。そもそも、権力がどうしようが作られてしまえば伝統は伝統、なんて考えは異端でしょうかね。
 私は文化研究というのが、本文の言い方を借りれば「(前略)中華文明圏やアングロ・サクソン文明圏の人々を永遠の他者としつつ、彼らの行動規範、思考様式を一つずつの構造として把握し、その構造にのっとって彼らと外交のできる一群の専門科を分業体制として内臓」するものだと思っていたんですが、どうもそんなお目々キラキラで通用するほど新風吹きぬける世界でもないようです。
まあもっとも、こちとら一回前期修了の身ですから、まずは今いる大学の地域文化研究が、果たして本書の嗤うカルスタ(笑)的なものなのか、それともどうやら私が目指しているらしい地域研究的なものなのか、教授の言を見てみなければ分かりませんが。最悪、転科も視野に入れるべきかも。
つか、なんで地域研究の講義が経済学部なんだ。経学なんぞ、受験のとき視野にすら入れなかったのに。